取材・文/藤田麻希 《麗子肖像(麗子五歳之像)》1918年10月8日 東京国立近代美術館 《麗子微笑像》1921年10月1日 上原美術館 この二つの麗子像をご覧ください。どちらも画家の岸田劉生(1891~1929)が愛娘の麗子をモデルにしたものですが、描き方はずいぶん違います。「麗子肖像(麗子五歳之像)」は、頬の立体感や瞳の輝きなどを見てわかるとおり、徹底して写実的に描かれています。表情も、頑張ってモデルを務める5歳の子どもの自然なものに見えます。一方、この3年後に描かれた「麗子微笑像」の輪郭は極端に横長で、子供らしからぬ達観したような微笑みを浮かべ、なんだか不気味です。3年の間になぜここまで変化したのでしょうか。 岸田劉生は、日本の洋画壇がフランス近代美術の後追いをしている流れにとらわれず、自分が素晴らしいと思った画家や絵に倣って制作を続けました。「麗子肖像(麗子五歳之像)」を描いたとき、劉生はデューラーやダ・ヴィンチ、フラ・アンジェリコなど、西洋の古典絵画に傾倒していました。アーチ型の飾りも聖母子像などからの影響だと考えられています。 「麗子微笑像」を描いた時期は、劉生の興味が西洋から東洋へと移行しつつ、その両方が重なり合っている時期でした。1919年から1920年にかけて何度か京都・奈良を訪問し、法隆寺の金堂壁画や中宮寺の如意輪観音などを見学し、感銘を受けました。言われてみれば、麗子の細く長くデフォルメされた目は、仏像の切れ長の瞳に感化されているようにも思えます。一方で、西洋の古典絵画に対する興味も持続しており、微笑む表情には、ダ・ヴィンチのモナリザの影響も指摘されています。この時期には、時間がかかる油彩画よりもさらりと描ける水彩や素描を多く残しました。 《道路と土手と塀(切通之写生)》重要文化財 1915年11月5日 東京国立近代美術館

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